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「イパネマの娘」 「想いあふれて」など、ボサノヴァファンでなくとも誰もが耳にしたことのある名曲の数々は、その類稀なるギター演奏と甘美な歌声によって世界中にその名を知らしめた、“ボサノヴァの神様”と称されるブラジルの伝説的ミュージシャン、ジョアン・ジルベルトによって生み出された。
日本でも多くのファンを持つジョアン・ジルベルトは、2003年に初の日本公演を実現し、その後も来日を重ねた。しかし、2008年9月5日にバイーヤで開催されたボサノヴァ誕生50周年記念コンサートへの出演を最後に、10年以上もの間人前から姿を消していると言われていたが、今年7月6日にリオ・デ・ジャネイロの自宅で死去した。88歳だった。
フランス生まれでブラジル音楽を敬愛するジョルジュ・ガショ監督による本作は、ドイツ人ライター、マーク・フィッシャーが、ジョアン・ジルベルトに会うためブラジルに出向いた顛末を描いた本をガショ監督が手に取った時から始まった。ジョアンに取りつかれたマークの強迫的なまでの旅を綴ったその本は、ブラジルの音楽、文化、そしてボサノヴァに関する刺激的な考察に満ちた素晴らしい記録でもある。しかし、その懸命な追跡にも関わらず、結局のところマークはジョアン・ジルベルトに会えないまま、本が出版される1週間前に自ら命を断ったという。
ガショ監督は、マークに強く共鳴し、彼の夢を実現すべく、その足跡を辿りながら、どうにかしてジョアン・ジルベルトに会おうと、ジョアンゆかりの人々や土地を尋ね歩く。果たしてガショは、憧れのジョアン・ジルベルトに会うことができるのだろうか・・・?
 ボサノヴァの名曲の数々に、ミウシャ(2018年12月27日死去)、マルコス・ヴァーリ、ジョアン・ドナートら有名ミュージシャン達、イパネマビーチをはじめとする美しい風景、目にも耳にも心地良い音楽ドキュメンタリーがブラジルから届いた。
1931年6月10日、ブラジル北東部バイーア州ジュアゼイロ生まれ。
作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンや作詞家のヴィニシウス・ヂ・モライスらとともに、ボサノヴァを創成したとされている。1963年の「イパネマの娘」が世界的に大ヒット、歌手アストラッド・ジルベルトは元妻。アストラッドとの離婚後、歌手のミウシャと結婚。べべウ・ジルベルトはミウシャとの間の娘である。2000年、全編ギター弾き語りによる初のアルバム「ジョアン 声とギター(João voz e violão)」を、カエターノ・ヴェローゾのプロデュースで発表。また2003年には70代での初の日本公演で話題になり、翌2004年、2006年11月にも日本公演を行い、東京国際フォーラムを始め各地のチケットは連日完売になる大盛況となり、ギター1本と歌声だけで客席を引きつける伝説のライブとなった。しかし、2008年8月にリオ・デ・ジャネイロで開催されたボサノヴァ誕生50周年記念コンサートへの出演を最後に、公の場に姿を現すことのないまま10年以上が経っていたが、惜しくも今年7月6日に88年の生涯を終えた。
1962年10月8日、フランス近郊のヌイイ=シュル=セーヌ生まれ。
フランスとスイスの2つの国籍を持つ。CMに俳優、音響アシスタントとして携わったことから、映画製作へのキャリアをスタートさせた。1990年にアカデミー賞外国語映画賞を受賞したクサヴァー・コラー監督作『ジャーニー・オブ・ホープ』に参加したことでよく知られる。その後、音楽レーベルのナクソスやヨーロッパの様々なテレビ番組から依頼を受け、ミュージシャンや作曲家、演奏者を取り上げた音楽映画を監督した。2002年にアルゼンチンのピアニスト、マルタ・アルゲリッチを取り上げた映画『Martha Argerich, Evening Talks(原題)』で、イタリア放送協会最高賞のイタリア賞を受賞。2005年には、ブラジル音楽にまつわる映画3部作の第1作目である『Maria Bethânia: Música é Perfume(原題)』を撮っている。このマリア・ベターニアの映画は、世界10か国で配給された。ガショはブラジル音楽の真の熱狂者、そしてスペシャリストとなり、2本の長編ドキュメンタリー映画『Rio Sonata:Nana Caymmi(原題)』(2010)、『O Samba(原題)』(2014)を監督した。1996年から2012年の間、コロンビアに関する5本のドキュメンタリー映画を手掛けている。
「ジョアンの訃報は、最近体調が良くないと聞いていたし、避けることはできないであろうと覚悟はしていたが、昨年末のミウシャの死に続いてとてもショックでした。偉大な音楽家の晩年を探求することができたことは私のかけがえの無い宝物です」  
※ミウシャ:ジョアン・ジルベルトの元妻で映画にも登場